◆◆  先端エネルギー工学専攻
◆◆◆        寺尾悠助教
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受験シーズン真っ盛りですね。この時期になると、受験生のお子さんがいらっしゃる周りの方々に「どのような勉強を?」、「模擬試験の成績は?」、「志望校や併願校はどのようなところを??」等とアドバイスを求められることがあります。
先に白状しておきますが、私はとある予備校の模擬試験において「偏差値20」をとった、自他共に認める「とんでも受験生」でした。私の話をきかれた皆様は決まって絶句し、そそくさと去って行かれる方がほとんど・・・。
ただ、一つだけ自信を持って言えることは、「大学受験だけが人生のすべてではないし、長い目で見れば巻き返しのチャンスは後にいくらでもある」ということです。私自身がそうでした。
高校時代、神奈川県横浜市の進学校に通っていました。当然ながら授業の進度は早く、難易度も高い。加えて先生たちも厳しかったです。その一方で、当時サッカー部に所属していたのですが、平日はほぼ毎日、練習・トレーニングに明け暮れ、週末も対外試合をこなす日々。そのような中で要領の良い同期達は勉強・部活・恋愛をうまくこなしていましたが、私は全くダメ。部活を引退後、すぐに受験モードに突入してメキメキと実力をつけていく同期達に比べ、私は理系にもかかわらず、センター試験三カ月前に行われた校内模擬試験の数学で文系の面々に惨敗して「学年最下位」・・・あっさりと浪人が決定しました。
予備校の授業自体は非常に分かりやすくて面白く、物理や数学の数式を、図等を用いてヴィジュアル的に教えてくださる先生方のお陰で、高校時代と比べて格段に数学や物理が好きになりました。特に東大の後期試験問題(総合科目)を、大学で習う微分方程式や複素数を用いて解く授業があったのですが、この授業を受けたことが大学入学後の大きな飛躍のきっかけとなりました。
しかし予備校時代もなかなか伸びない上、夏期講習を(一部)サボって両親とハワイ旅行に行ったのが悪かったのか、夏休み明けの模擬試験で理科(物理・化学)の偏差値20、数学は2点(←200点満点中)。これには、「たまには気分転換もしとかんとなー!行こ行こ!!」と、普段から明るい大阪出身の両親も絶句していました・・・ちなみにハワイ旅行は楽しかったです。
結局、大学受験生としては最後まで「とんでも受験生」のままでした。受験二度目にもかかわらずセンター試験の結果は散々。併願で受けた某有名私立大5校も全滅。それでも、地方の国立大学ならばA判定が出る場所が複数あり、何とか母校である山形大学・工学部に拾ってもらえました。今思えば、この時がある種のターニングポイントでした。
人生とはある瞬間、急に転機が訪れるものだと思います。大学に入学してから、今まで全く理解ができなかった数学や物理の授業が急に分かるようになりました。数学に関しては解けない問題はない、という「無双状態」に突入しました。専門科目においても、定期試験でほとんどが九割以上。満点を取った科目もかなりありました(今は無理ですが・・・)。
この状態になったきっかけは、前述の予備校の東大後期試験問題の授業でした。大学で習う数学や物理のイメージが出来上がっていたのでしょうか。ようやく「覚醒」の瞬間が来ました。
大学の成績は四年間を通して首席。学科内で出回る過去問の解答は私が一人で作っていました。そして、東大大学院の受験を決めました。
大学受験の時と異なり、「憑りつかれた」ように勉強しました。問題が解ける→楽しい→また次を解きたくなるという「正のスパイラル」に突入。サークル活動や恋愛は完全にそっちのけ。参考書を四年間で二十冊近く解きつぶしました。とにかく「東大合格」の四文字しか頭にありませんでした。
チャンスは準備のできた精神を好む。「工学系研究科」の院試では、数学は(恐らく)満点をとり、物理も難なく合格点。四年越しにリベンジ合格を果たしました。
山形大学の卒業式で総代を務めた後、引っ越し準備で部屋を片付けている時に「院試勉強ノート」を処分しましたが、その量は大型段ボール1箱分・・・何とも感慨深かったです。
こんな受験ライフを送ってきた私が、受験生の皆さんに出来るアドバイスはただ一つ、「集中力を切らさず、最後まであきらめないで!」―― 長い目で見れば、偏差値20であろうが、浪人中ハワイに行ってセンターでコケようが大した問題ではありません。
最後にこのコラムを「たまたま」ご覧になられた出版社の皆様、出版・映像化のオファー、お待ちしてまーす。